終わらない「男女別」性教育

女性の生理現象について話す時、「僕は男なのであまり分からないのですが」「女性には分かると思いますが」と断りを入れるのをよく聞く。しかし、それは単に話し手がその生理現象を経験しないからというだけではない。幼少期にそれを学ぶ場が設置されていないのだ。今回は、NPO団体PILCONのフェローである金ハリムさんのお話を聞きながら、日本の小学校における男女別性教育のリスクについて考えてみる。 「生理なんて、そんなこと言ったらだめだよ。」 シスジェンダー[*1]女性である筆者が、とある理由で機嫌を悪くし、シスジェンダー男性の友人に「生理なの?」と聞かれたときに私はそう注意した。そしてそのことを、今でもずっと後悔している。 なぜだろう。なぜ、シスジェンダー男性が「生理」と言ってはいけないと思ったのだろうか。女性が感情的になることを女性性に結びつけて考えることはステレオタイプだが、男性が「生理」と口にすることは問題ではないはずだ。 生理がタブーだと思ったこと、そして「生理のことを何も知らないくせに、軽く言わないで」と思ったことが、私が彼に注意をした理由である。後者の、「生理のことを何も知らないだろう」とその時私が瞬時に決めつけたことについて、いくつかの理由が考えられる。 まず、私が男性の生理現象について詳しく知らなかった。そして、私が生理の話を聞く時、いつもその空間にはシスジェンダー女性しかいなかった。さらに、それまで、生理を含む性についての話を聞くことが、片手で数えるほどしかなかったのである。 それらはどれも、性教育に関係する。そして性教育には、その国の文化が大きく影響する。 日本での性教育は小学校から始まり、そこで多くの子どもたちは初めて性に触れる。 2年前の2019年3月、東京都教育委員会は15年ぶりに「性教育の手引」を改訂した。手引きの「実践編」は小学校から始まっており、やはり日本の性教育は小学校から始まっていることが分かる。 最初で最後の「男女別」授業 私が10年前に小学校で受けた性教育は、改訂前の手引きの時期に当てはまる。 広い教室に女子生徒だけが集められ、校医が特別授業として性の仕組みを教えるというもので、授業後には生理用ナプキンを1つもらった。 授業内容と言っても、避妊具のことについては深く触れられず、「子宮」「卵巣」などといった女性性器の名称、卵子と精子の関係、生理の正体と、月経の仕組みなどが主な内容であった。それまで全く話されてこなかった、つまりタブーであると無意識に理解していた性器の形を校医が黒板に大きく描いているのを見て、「そんなことをしていいんだ」と衝撃を受けたのを今でもよく覚えている。 避妊具については小学校だけでなく、中学・高校でも実践的には学ぶことがなかった。アフターピルの存在を知ったのも大学生になってからであり、コンドームの使い方は自分で調べるか、実際に使用する場面にならなければ知ることはない。そしてその場面になったとしても、自分で事前に調べていない場合、コンドームが正しく使用されているかどうかは分からないのだ。こうして、避妊に失敗するケースが生まれていく。 私が女子生徒だけで集められたその日、男子生徒は違う教室に集まり、異なる内容の性教育を受けていたことだけは知っているが、何を教えてもらっていたのかは今でも知らない。 小学校に入学してから、授業を男子生徒と女子生徒で分かれて受けたのはそれが最初で最後であったため、男子生徒が授業で何を聞いたのかを尋ねることも、そして自分がその授業で聞いた内容を男子生徒に話すことも、してはいけないのだと思っていた。 授業が終わって(何人かはその時初めて手にしたであろう)ナプキンをもらった女子生徒は、そのナプキンを男子生徒に見られないようにランドセルにしまった。いつになく静かな空気が教室を包みこんでいた。私はその異様な空気を未だ忘れることはない。 東京都教育委員会によると、2019年の改訂は「学習指導要領に示された内容を全ての児童・生徒に確実に指導するとともに、現代的な課題を踏まえながら保護者の理解を得て必要な指導を行うなど、適切な性教育の実施に向け」たものとしている[1]。 現代的な課題としては、「情報化の進展」「インターネットを介した性被害」「若年層の性感染症」などが挙げられ、インターネット社会が大きく影響しているようだ。 「男女別」変わらず 改訂版においても、生徒が男子生徒と女子生徒に分けられ、5年生の宿泊を伴う行事前に性教育を行う形式はここでも継続されている。 「性は個人的でデリケートな問題」とし、男子生徒と女子生徒に分ける理由としては「男女ともに訪れる思春期の体の変化には性差があり、男女別に実施する指導は、異性を意識することなく、それぞれの不安や戸惑いに直接的に答える指導ができる」としている[2]。 「男子編」と「女子編」の2つの授業内容は大きく異なり、それぞれの性を中心としたものである。 「男子編」においては、 男性ホルモン 男子の第二次性徴 女子が受けている授業内容の概要 体の成長の個人差 男性教師による体験談 まとめ となっており、女子生徒が受ける内容をそのまま男子生徒が受けることはない。 「女子編」においては、 女性ホルモン 女子の第二次性徴 男子が受けている授業内容の概要 月経の仕組み・月経周期 ナプキンの種類・使い方 月経時の入浴方法・着用すべき服 ナプキンがない時の対処法 体の成長の個人差 女性教師による体験談 まとめ となっている。 女子生徒が受ける授業では月経に関する話が多いため、男子の性の話はさらに小さい割合になっていることが分かる。 また、女子生徒はナプキンの付け方などを実践的に学ぶのに対して、男子生徒の授業では実践がない。 これらの女性器と男性器に関する授業は「宿泊的行事前の保健指導」というテーマのものであり、小学6年間で1時間のみとなっている。これは、「友情・信頼」がテーマの授業が小学3年から6年までの4年間かけて行われ、「自分自身の生活や成長の振り返り」「これからの成長への願いをもつ」がテーマの授業が小学1年から2年にかけて合計36時間行われるのに対して非常に少ない配分だ[3]。 PILCONフェローのハリムさん 男女別性教育についてどういう印象を持っているのか、権利に基づいた性教育を広める活動をしているNPO団体PILCONのフェローである、金ハリムさんに聞いてみた。 「男女別に分けて性教育を行うと個人的なレベルでも政治的なレベルでも弊害が起こる」とハリムさんは言う。「個人的な問題としては、ジェンダーステレオタイプを助長し、夫婦間での理解ができなかったり、恋愛関係でトラブルが起こりやすかったりとか。政治的な問題としては、ジェンダー不平等が深刻化し、政策決定をする人々が男性マジョリティになっている場合、女性を取り囲む状況や環境の制約を理解できないまま『女性が輝ける社会』など、実際起きている課題を踏まえた上で有効かどうかが曖昧な内容の政策を進めがちになってしまうのではないでしょうか」と指摘した。 「何よりも、性別二元論になってしまっていて、トランスジェンダーやクィアの人々を全く無視してしまっていますよね。異性愛中心主義的で、禁欲主義的な性教育になっています。自分が同性愛者であれ異性愛者であれ、異性の体について知ることは大事だし、生理の貧困を含め、社会でいざ何か問題が起こった時に、社会構成員としてコミュニケーションをするためには、自分はもちろん、異性の体をまずは理解しておく必要があります。そして、それを知ることは人権に当てはまるんです。」 性教育で起こる「気まずさ」については、「学習者がすべきことと教育者がすべきことは異なる」と話す。「学習者に関しては、性の捉え方が人によって異なっていて当然なんです。その人が気持ち悪く感じたり、気まずく感じたりしたら、それはそれでいいし、そういう人が多ければそれは社会の反映なんだと思います。そして教育者は、居心地が悪いと思っていることに対して、『それがおかしいことではないし、自分のペースでいいんだよ』と、学習者を安心させてあげることが大切です。しかし、学習者が気まずくならないようにするには、最初から男女で分けるべきではありません。性的マイノリティの子もいるのに、その子たちを無視する形になると、性的マイノリティに対する偏見や差別を助長することに繋がり、つまり一方的で、ある意味暴力的な教育になってしまいます。『不安や戸惑い』には向きあわないで、その『気まずさ』を解決することはできないと思います。」 次の改訂は2034年か 「性教育の手引」の改訂版を作成した理由としては、上記のものに加えて「前回の改訂から10年以上が経過」したことも言及されている。UNESCOが中心となって発表している「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」の改訂版は、初版のものから9年を経ての改訂だったが、東京教育委員会が発表している「性教育の手引」の改訂には、15年というさらに長い時間がかかった。 2019年の次に改訂されるのが10年後として2029年、今回の改訂が15年ぶりであることを考えて、15年後とすると2034年だ。 2034年において、男女で分けられた性教育カリキュラムが常に「現代的な課題」に正面から向き合うことができるのだろうか。そして、男女に分けて性教育が行われることが適切だと判断される社会が続いているのだろうか。 …

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