彼は彼女の姓を名乗った

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Written By バネルジー トリシット | Translated By 大島(アチュクバシュ)アイシェ遥

フェミニズムの活動家である松尾ポスト脩平さんが、妻の姓を名乗る経験と性別に制限されてはならない理由についてVoice Up Japanに語ります。

松尾ポスト脩平さんは香港で妻と出会った。彼女は始めから彼が持つ価値観に挑戦的だったと言う。「特に覚えてるのは誕生祝いに彼女を素敵なレストランに連れて行った時、彼女が僕が全額払うことを拒否して、気づいたらフェミニズムとジェンダー平等について話し始めていたことです。自分の価値観が挑戦されたことをよく覚えています。非常に不快な思いと同時に敗北感を感じました。」と彼は思い出す。彼は反性差別主義者であることの必要性を悟り、中立であることは決して問題の解決に繋がらないのだと信じ始めました。 「事実に直面しよう。私たちは家父長制の社会に住んでいるのです。その社会に順応し、性差別に対して中立であるのなら、あなたは性差別主義者です。ジェンダー平等を促進するためには、積極的に反性差別的でなければならないのです。」と彼は言う。 

ついに結婚することを決心したとき、松尾ポストさんは組織的性差別によって女性が自分の姓を手放させられていることを理解した。民法第750条は夫婦同姓を定めてている。現在の法律では夫婦別姓または2つの姓をを組み合わせすることは許可されていないのだ。 

松尾ポスト脩平さんと妻のティーナさん

しかし、米国と日本での彼の経験は異なるところがあった。「私たちは米国で結婚し、翌朝、市役所に書類提出に行きました。とても簡単でした。『はい、ではこれからあなたは松尾ポストさんです。』って感じでした。なんて簡単だったんだろう!」 Journal of Family Issuesのシェーファーとクリステンセン博士ら(Shafer and Christensen) による2018年の調査で、米国人男性のわずか3%が妻の姓に変更したことが明らかになったことが重要だ。それにもかかわらず、米国のシステムは男性と女性が同じくらい簡単に姓変更ができる。それと対照的に、2017年に行われた606,866件の結婚に関する調査によって4.1%の男性が名字を変更したことが示された日本では、男性の姓変更は難易なものだ。「日本で正式に両方の姓を組み合わせることについて市役所に問い合わせた時、それは不可能だと言われました。問題は、法律によって夫婦別姓、またはパートナーと姓を組み合わせることさえ禁止されていることです。」と松尾ポストさんは言う。なんとかならないかと、さらに問い詰めたら係の公務員が出した提案は家庭裁判所を通した別のプロセスだった。「家庭裁判所って離婚訴訟のためじゃなかったっけ?」と松尾ポストさんは回想する。

彼は最終的にシステムの抜け穴を利用して目的を達成した。妻が先に米国で姓を「ポスト」から「松尾ポスト」に変更した事に基づき、日本で妻のその新しい姓を名乗ることで既存の規則に合わせた。「これによって日本の法律上2つの名前を組み合わされたと見なされなかったのです。つまり私は文字通り、彼女の姓をもらったのです。しかし日本人が日本人と結婚する場合これは到底無理でしょう」と彼は説明します。「私はこれが理由で結婚したくない多くの日本人を知っています。彼らはパートナーと一緒にいたいけれど、アイデンティティーを放棄したくないのです。」と彼はさらに付け加えた。

現在、自身の弱みを隠さないことや正直でいることとフェミニズムについての体験を題材にした「私は彼女の姓を名乗った」という本を書いている松尾ポストさんは「私の姓を変更することは、私の性別がもたらす社会的概念や義務を手放すことの象徴でした」と言う。

松尾ポスト脩平さん執筆の本の表紙

「当たり前」にではなく、自由な選択に基づいたの決断

松尾ポストさんは決してすべての男性に姓の変更を求めているわけではない。「私は男性全員がパートナーの姓を名乗るべきだと言っているのではありません。望むならそれを選べばいいですが、伝統だからと言って拒否してはならないのです。妻が本当に自身の名字を変えたいのなら、それも素晴らしいことです。しかしそれは純粋に自由な選択に基づいた決断であるべきです。」と彼は言います。日本で経験した名字変更の過程で彼はこのような決断に伴う課題を認識させられた。 「パスポート、運転免許証、仕事用のメール、名刺などすべてを変更する必要がありました。ほとんどの国では、男性はこれについて心配する必要はありません」と彼は言う。「誰かの姓を名乗ることは、新しいアイデンティティーを引き受けることです。では女性であるという理由だけで、女性がこれを経験することを当たり前とするのはなぜですか。」彼はさらに疑問に思います。

彼の決断が家族や友人との関係に問題を引き起こしたかどうかを尋ねると、彼はまったくそういったことは無かったと言う。 「幸いなことに私の家族は非常に寛容です。 14年近く海外で暮らしていた私は結婚する数年前に両親に、日本人との結婚になるかどうか分からないと言っていました。私は当時香港にいて日本人と結婚することに何の問題も感じていませんでしたが、両親や家族のためにそうする必要があるとも思っていませんでした」と彼は説明します。妻と母親は言語の壁が原因でお互いに交流するのに苦労しているにもかかわらず、彼の家族は彼女を歓迎し、家族の一員として愛していると言う。 「彼女の家族にも同じようにを感じています」と彼は付け加えます。「彼女の家族とは英語でコミュニケーションがとれますが。」妻はミネソタ州出身。しかし彼女の父親はスイス出身であり、他の国に拠点を置く家族がいるとのこと。 「彼女は世界中を旅して住んだ経験があり、彼女の両親はおそらく彼女の未来のパートナーが米国人じゃないかもしれないことを知っていたでしょう」と彼は説明します。

各文化はジェンダーといった複雑な問題に、特異の側面を加える。日本では言語も家父長制を広める役割を果たしている。「日本語で夫を指すとき、多くの妻は「主人」と呼びます。一個目の漢字は文字通り「仕えているあるじ」という意味です。他にも呼称はありますが多くの女性は夫を主人と呼んでいます」と彼は説明する。彼は北欧諸国がジェンダーギャップを縮めることにもっと成功していることを認めながらも、完全な平等を手に入れた国が存在するとは信じていないと言う。 

交差性差別の世界に立ち向かう

松尾ポストさんは横浜近郊の東京郊外で生まれ育ち、15歳になるまで日本に住んでいた。「父親はカリフォルニアに拠点を持つ会社に勤めていました。私が6歳のときから、父親は毎年夏に家族を米国に連れて行きました。それが私にとって米国、そして海外での初めての経験でした」と彼は思い出す。その旅と米国に受けた印象は、成功するためには米国へ行かなくてはと彼を確信させた。高校生になった時に彼はすでに決心していた。「私は日本を去りました。たった一人でした。」と彼は言う。彼には米国にホストファミリーがいて、両親は決断を支持した。

その後の8年間、松尾ポストさんは米国で生活を送り、最後の年はニューヨークに住んでいた。「今まで行った中で最も多様な都市の1つ」と彼が表現するニューヨークで、彼は自分が典型的なの日本人ではないことに気づいたそうだ。それは後々彼が向き合わなければならないことだった。帰国した母国で経験したのは逆カルチャーショック。 「自分の中では日本人ではないと感じる部分があっても、日本語を話せるし見た目が日本人なので、周りが日本人であることを求めてくる。混乱しました。自分のアイデンティティーを失ったようでした。」と彼は言う。米国では少数派で、疎外されることを経験した彼は日本に帰国した際、在日韓国人やアフリカ人などが受ける差別に気が付き、、非常に驚かされた。その社会への不満に気づき、彼は再び日本を後にし、香港に向かった。「アジアの最大のるつぼ」と表現されている香港。「世界中の人々に会いました。さまざまな生い立ちやセクシュアリティを持った友達がいて、多様性と包容力性の重要さに気づかされました」と彼は主張する。

そのような多様性豊富な都市に住んでいたにもかかわらず、松尾ポストさんは当時理解しきれていなかった1つのグループが女性たちだったと告白した。彼が持っていたジェンダー観は米国の紳士の道(女性へ紳士的であれという考え)を知ったとき、逆の打撃を受けた。「それは女性が男性に優しくするべきとされる日本とは真逆でした。慣れていたものと違うその紳士の道を新鮮に感じました」と彼は言う。その後、彼はその紳士の道も性差別の一種であることに気づいた。「なぜ男性は困っている他の男性に同じように親切ではないのか?人はつねに人に親切であるべきだ」と彼は説明する。

人種差別と性差別の両方の経験の上で松尾ポストさんは、ジェンダーの問題を他の問題から分けてしまうことは深い理解につながらないと強く主張している。 「白人女性が経験することは、黒人女性が経験することと異なります。それにセクシュアリティを加えると、シスジェンダーの白人女性の経験はトランスジェンダーの黒人女性のものとは異なります。世界的に男性はもっと社会的地位と力を持っている、そして特に米国では白人がもっとも力を持っている」と彼は2つの交差性を説明している。 「人種差別のように性差別も組織的です。基本的に、男性が得するシステムなのです」と彼は付け加える。

政治と社会 

松尾ポストさんは、歴史を振り返ってみると日本のジェンダー観の印象が大分変わることを認めている。「弥生時代に女性指導者卑弥呼がいて、ほかにも日本の歴史の中で何人かの強力な女性がいました。すべての首相が男性であったりするのは、ごく最近の事なのです。」と彼は述べる。日本におけるジェンダーの理解の変化は西洋の影響によるものかもしれないと彼は言う。「米国では昔、男性が労働力に加わり家族を養い、つねに非感情的でであるのに対し、女性は世話係であり、親切で共感的で、家族思いであるというプロパガンダがあった知っています。しかし、それが日本で同じだったかどうかはわかりません」と彼は言う。

姓のトピックにおいては、日本では19世紀後半の明治時代まであまり使われていなかったことを知ることも重要だ。明治維新下でも、政府はそれ以前の伝統に従って、1876年3月17日付けの命令に記載されているように配偶者が別の姓を持つことを許可していた。戦後の占領下の日本で改正民法によって夫婦の一方の改氏が規定されたのは1947年12月だった。歴史的観点なからすると進歩的であるように見えたものがまた変化を必要とするようになった。それから間もなく、1975年9月26日に夫婦別姓を申請する最初の請願書が国会に提出されました。

1976年に首相官邸は世論調査を実施し、20.3%の回答者のみが夫婦別姓を支持し、62.1%は反対していたことが明らかになっていた。 2018年に国立社会保障・人口問題研究所によって全国調査が実施されたときには、50.5%の既婚女性が夫婦別姓の提案に賛同していた。調査開始の1993年以来、五割を超えるのは初めてだった。

社会の変化が表れているにもかかわらず、安倍晋三首相の指揮下の政府はそのような変化を反映していない。2019年7月に日本記者クラブで記者が政治家達に夫婦別姓に賛同するかどうか尋ねたとき、安倍首相を除く全員が賛同すると言った。

ただし、2020年5月に朝日新聞と東京大学の谷口将紀研究室が共同で行い発表した調査では、安倍首相の自民党(LDP)支持者の54%が夫婦別姓に賛同していることが明らかになり、2017年度の調査以来賛同者が25%増加したことが示された。

2015年に3人の女性が民法750条に対して共同訴訟を提起したとき、最高裁判所は夫婦同姓が「日本の家族制度」に基づいていることを理由にそれを認めなかった。注目すべきことは、大法廷が男性12人と女性3人によって構成されていたことだ。大法廷にいるすべての女性と2人の男性を除いて、10-5の決定は750条を合憲的と判断した。

松尾ポストさんは「個人的こそ政治的である」と考えてる。「それは間違いなく政治的なことだと思います。長年このようになってきたという意味で、社会的でもあります。わからないのは、なぜ先進国の日本がこれほど遅れているのか。人々がは政治よりも早く変化していると思います。」と彼は言う。

社会からの期待を手放す

結局のところ、他の男性に改姓することには問題ないとどう説得すればいいのだろう。「生まれると性別が割り当てられます。それはまさにあなたに社会からの期待を押し付けられた瞬間です。私にとって改姓することは、そういった社会的から性別への期待を手放し、男らしさを再定義することの表れでした」と松尾ポストさんは言います。彼は付け加える。「私は男性が強く、経済的に安定していて、感情表現をせず、運動能力に長けている存在であるべきだと学んで育ちました。それは社会が、メディアが、そしてあなたの両親が教えてきたことであり、誰のせいでもありません。家父長制度は男性にそのようにあれと命じます。与えられた性別に縛られることのない世界を想像してみよう。」

松尾ポストさんは教育にも重要な役割があると考えている。「私は一度に30〜40人と話す講演などを行ってきましたが、それが国の方針を一晩で変えることはありません。教育改革が最も影響をもたらします。子供たちが姓の歴史、なぜ家父長制の社会なのか、そして私たちが変化を実現するために何ができるかについて学ぶことが重要です」と彼は言う。彼は今後もより多くの若者と話すことを楽しみにしている。「より歳をとったには時間がかかるでしょうが、だからといって私が挑戦しないということではありません」と彼は言う。「私のストーリーを人と共有するのが私の仕事です。なぜなら、私は手放すことから真の恩恵を受けているから。」

松尾ポスト脩平さん執筆の本「I Took Her Name」は2020年秋に出版されます。www.shumatsuopost.com でその関連情報をフォローできます。

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