ジェンダーレスファッションで自己表現しよう

Written in Japanese by Mai Miura | Translated by Daniel Read

派手な柄シャツ、大きなモチーフのピアス、メイクで自己表現をする吉井遼太さん。男性として「男らしさ」というジェンダーの固定観念を破るスタイルをすること、それに伴う心境の変化や見えてきた社会についてお話を伺った。

Zoomインタビューに、赤地に黒と金の細かい水玉のポップなシャツで登場した吉井さん。毎日のファッションやメイクにおいてこだわっているポイントを聞くと、「下は黒のスキニーとかばっかり履いてるので、腰から上の方をけっこう派手にする。メイクはナチュラル系」とのこと。古着のトップス、特にゴテゴテした柄シャツを好んで着ることが多いそうだ。お気に入りのピアスは赤い折り鶴や蝶、鳥の羽など、大きめで楽しいデザイン。「同じような商品でレディースデザインのほうがちょっといいかなと思ったら、レディースものを買うこともよくある」と話してくれた。

近年、日本では女性用・男性用かかわらず好きな服を着て楽しむ人が増えており、「ジェンダーレスファッション」という日本のサブカルチャーとして海外からも注目を集めている。

近年、日本では女性用・男性用かかわらず好きな服を着て楽しむ人が増えており、「ジェンダーレスファッション」という日本のサブカルチャーとして海外からも注目を集めている。

参照:
CNN styleによる記事 : Exploring Japan's 'genderless' subculture https://edition.cnn.com/style/article/genderless-kei-fashion-japan/index.html
i-D Meetsによる動画:i-D Meets: Tokyo's Genderless Youth https://www.youtube.com/watch?v=NrYJE1sFVd8 

吉井さん、ご自身のスタイルはこの「ジェンダーレス」ファッションに当てはまるとお考えですか?

難しいのですが、ジェンダーレスな服装をしようと思ってしているというよりかは、メンズライクなファッションはなんとなく嫌なので、自然といわゆる「ジェンダーレス」と言われている系統の服装をするようになっていると思います。好きな服を探していった先、行き着いたのが現在のスタイルです。いわゆる「男性がするピアス」として思い浮かべられるゴリゴリしているシルバーアクセはあまり好きではなくて。どちらかというとモチーフピアスとか、シンプルなリングピアスとかを最近よくします。

ご自分のスタイルが確立されたのはいつごろですか?

ファッションに関しては、たぶん学部の3年生、4年生ぐらいからですね。そのころに人生で初めて金髪の髪型をやってみたり、軟骨や両耳にピアス開けてみたり、古着に手を出してみたり。

興味を持ち始めたきっかけはなんですか?

メイクに関しては色々要因が重なった気がします。一つは、当時観ていたスキンケア系の動画を作る男性ユーチューバーの車谷セナさんやヒョクさん等が、よく女性ユーチューバーがしている「半顔メイク」、顔の半分はすっぴんで半分はメイクをしている動画を見たこと。男性でメイクをする人がいるのは知っていましたが、半顔でビフォーアフターを見せられたときに、もともと綺麗な顔の人がこんなに綺麗になるんだという気づきがあったのが大きいです。また、仲良かった後輩と、メイクやってみようよという話になったこともきっかけです。下地やファンデだけでも変わるんだったら、と後輩に付き合ってもらって見に行きました。

車谷セナさんメイク動画: https://youtu.be/-0f_obSeN-A
ヒョクさんの半顔メイク動画: https://youtu.be/Ucr7F0xNdcY

“外見的に男の人に見えるから、女の人に見えるからといって、 その人の個性ないしその人のあり方や価値観まで 鋳型みたいなところに押し込めるのはイケてない、ダサい”

典型的な「男らしさ」という固定観念を打破するスタイルをされる上で、困難はありますか?

バイト先や、帰省した際に高校時代の同級生に、服装に関して嫌なことを言われた経験があります。自分という人間性はどんな外見をしているかというのとはまったく関係ないものなので、外見がステレオタイプな男性像からちょっと外れるだけで気分の悪くなることを言われなきゃいけない、周りの人はそのようなことを言ってもいいのだという風潮があることに強く違和感を覚えました。

でも、これは僕にとってターニングポイントで、自分らしくいようと強く思わされたきっかけになりました。やっぱり、周りの目を気にして自分のやりたいことができないよりは、自分のことを受け入れてくれない人はもう切り捨てて、自分のやりたいことをいいって言ってくれる人だけと交流したほうがずっと良い。そもそも、自分に近しいところで何かを言ってくるような人って、そんなに大した人ではないので。そんな考えを徐々に持つようになりましたね。

性別に基づく固定観念が社会に根強く残る中、それに抵抗する形の自己表現をする力の源は何ですか?

僕のいた地方はどこか閉塞的で窮屈な雰囲気があって、男の子だから、女の子だからこうしなさいというような教育や価値観は強かったように思います。幼い頃から、性別に基づいて求められる「男らしさ」や「女らしさ」に疑問をいだいてました。小学校の時に、「男らしさ」「女らしさ」よりも「自分らしさ」のほうが大事なのではないか、という内容の作文を書いた記憶があります。でも、母親は僕が周りと違う表現をしたいとか、周りと違うと思った時に、一番自分を否定しないでいてくれました。固定観念に当てはまらない自己表現の方法を見つけていく上で、自分らしくいてもいいんじゃないかと感じられるようになったのは母親のお陰です。

近しい存在の人が認めてくれるかというのは、その人が自身をどう捉えるにすごく大きく影響しています。ですから、身の回りの人、友達であったり兄弟であったり、パートナーであったりという人たちが、自分が勝手に築き上げたその人のイメージ像から離れたときにこそ、その人たちの選択は尊重してあげてほしいと思います。

現在のようなファッションをするようになってから、変わったことはありますか?

学部生の頃、服装に興味を持ったりピアスを付け始めたりする前は、どこかステレオタイプに合わせようと思う自分がいました。世間一般、金髪の人は黒髪の人よりチャラいと言われ、ピアスをする男性はピアスをしない男性に比べてどこか怖いという印象がある。自分自身もゴテゴテした柄シャツを着る人は我が強いとか、面倒くさいというイメージを無意識のうちに抱いていました。言い方はあまり良くないのですが、当時の自分が抱いていた感情を直接表現すると、「自分はそうじゃないちゃんとした人だ」とどこかで思いたかったのだと思います。

しかし、ちょっとしたきっかけで髪の毛を染めたり、ピアス開ける数を増やしてみたり、着る服の系統を変えてみたりしたその時、自分が当事者になりました。そこで初めて、「変わったのは外見だけで、髪を染める前日の自分と髪を染めた日の自分って、(中身は)何も変わっていない。外に向けての自己表現と、その人の内面、人間性は全然関係がないのだ」と気づけたのです。

それからは、いわゆるステレオタイプから外れたファッションやルックスの人たちを見ても、怖いなあとか変だなあと思うよりも先に、かっこいいなあと思うようになりました。自分の中で、すごく大きな変化だったと思います。

 “上っ面だけ多様性とか、上っ面だけダイバーシティという言葉を使う人が今、すごく多い気がする”  

メンズメイクという単語やメイクをする男性という概念が、人々の間で共有された認識としては存在していますが、身の回りのことだと思っていない人が多いと思います。

売り場に行って化粧品を買おうとすると、美容部員さんに必ず、「プレゼント用ですか?」と聞かれるんですよ。化粧品を売っている人たちでも、メイクは主に女性がするものという認識があって、メイクは男性もするものだというイメージをあまり持たれていないのだなと感じます。メイクをしていると打ち明ける前に友達と話していると、僕がその当事者であるという可能性を考慮せずに、メイクをする男性に対するステレオタイプ的な発言をする方がけっこういらっしゃいます。そういう発言を聞くと、男性でメイクをする人がいるのだということは「概念」としては認識しているけれど、自分の身の周りの人、親や兄弟、友達、仕事場の部下や、先輩、後輩にもメイクをする男性がいることが当たり前なのだという認識をまだ持てていない人がすごく多いと感じます。

上っ面だけ多様性とか、上っ面だけダイバーシティという言葉を使う人が今、すごく多い気がするんですね。もちろんそれが上っ面ですら使われなかった時代に比べると、だいぶいい時代になったというのは間違いなく、だいぶ生きやすくなったなあ、多様な世の中になったなあと時代の進歩として感じます。それでもやっぱり、自分と同じ世界の中に、マイノリティの人たちがいるのだということを理解できていない人が多いです。

"自分の身の回りの人もマイノリティ性を持っている可能性・これから持つようになる可能性は往々にしてある" 

マジョリティとマイノリティの世界の分断はファッションやメイクに限らず、あらゆる自己表現やLGBTQ+等のアイデンティティにおけるマイノリティ性に関しても言えることです。

マイノリティの人たちが住んでいるのは自分たちとは違う世界で、地続きになっていないと思っている方がものすごく多くいらっしゃると思います。「そういう人たちがいるけど、まあ、俺らはそうじゃないもんな」っていう勝手なコンセンサスが世の中にはあるんではないでしょうか。

学校や会社、メディアやSNS、駅やスーパー等のパブリックな場所は本来、全部地続きで重なっているはずなんです。空間的にも時間的にも精神的にも、全部が繋がっているはずなのに、どうしてもマジョリティの住んでいる世界とマイノリティの住んでいる世界を切り離して考えてしまっていると感じます。皆、マイノリティ性を持つ人がいるというのは分かってはいても、自分の隣にいる人がそうかもしれないということは一切考えていない。

今の社会には同調圧力があり、マイノリティの方々はアウティングされたり、後ろ指をさされ、陰口を叩かれたりするリスクを負っています。そのため、どうしても自分からカミングアウトしづらい。マジョリティがマイノリティを認識する機会が少ないがゆえに生じるマイノリティの透明性があると思います。

自分の身の回りの人もマイノリティ性を持っている可能性・これから持つようになる可能性は往々にしてあるんだよということだけ、頭の隅っこに置けば、社会はもっとのびのび過ごしやすくなるのではないかと考えています。

吉井さんのツイッターはこちら @ gen__kero
日常的にジェンダー関係を中心に意見発信をしています。男性フェミニストというと耳馴染みがないかもしれませんが、気になったら是非覗いてみてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です