誰も私の痛みを信じてくれなかった

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By Sachiko Ishikawa | translated by 大島アイシェ遥 イラストレーション:増田愛

私の初潮、初めての月経が来たのは、12歳になりかけてた小学校の最後の年のイースター・ウィークでした。それが怖くて混乱していながらも、思春期の始まりに少し興奮したのは私だけではなかったと思います。同年齢の子供たちの多くと同じように、ホルモンと周期が安定するのに少し時間がかかりました。私はカレンダーに赤ペンで印を付けながら周期を記録し、多かれ少なかれ生理の規則性に適応しました。 

ナプキンや下着を染みとおり、当時スペインのバルセロナで通っていた学校の椅子をも汚すような激しい出血にも慣れました。夜はナプキンを重ねても、タオルやシーツを濡らしてしまうのに慣れました。生理の疲れ、一晩12時間寝ても解消できない、骨にも浸透したような倦怠感に慣れました。誰も私にそれが異常だとは言わなかったので、これが普通なんだと思いました。実際、当時の髪の毛、紙、氷などを食べ続けた(一時的な)強迫的衝動が貧血の症状であったことを今だから知っています。 

症状は中学に入ってからエスカレートしました。小学生の子供たちが月経について公然と話すことはありませんでしたが、中学校に入ると月経中の子供たちが体育の授業で平気そうにしていることに気づきました。体の痛みへの不満を口にしながらも彼らは普通に走ったり跳んだりしていて、一方私は過度に運動すると息を切らし、めまいがしました。 

しかしある日、漠然として抱いていた疑問が、激しく鳴る警鐘に変わりました。お腹の中で、冷たく固い何か、それはまるで鉛の爪が私の中をひっかきまわしているような、耐え難い刺し傷のような感覚を覚えています。私は最初に下痢、次に吐き気と嘔吐、めまいと震えに襲われ、最後には痛みでせん妄を起こしました。両親が地元の診療所に電話をかけ、医師が虫垂炎かどうかを確認するために家に来てくれました。虫垂の仕組み、そして虫垂が破裂すると起こることを知っていて、手術を覚悟していたその時…医者が親の方を向いて「生理ですね。」と言いました。

私は生理中ではありませんでした。まだ始まっていなかったのです。なのでそれは違うと私は言うと、彼は肩をすくめてこう言いました:「今日始まるでしょう。これは生理痛です。あなたの体は、分娩時と同様に血を押し出していますが、理由はわかりません。」そして、彼は私の臀部に鎮痛剤を注射しました。 

これがこの症状が初めて起こった時の様子であり、悲しいことに最後ではありませんでした。 

平均的に3年に1回の頻度で、その「発作」が起こりました。私は同じ症状を示しました—消化管の問題、重度のめまいと震え、そして痛みによるせん妄。通常のOTC鎮痛剤には何の効果もありませんでした。救急車で病院に運ばれる度に、死ぬんだと確信している私に向かって戸惑った医者は「なんだ、生理じゃないですか。」と言いました。

16歳のとき、救急隊員が私をバルセロナの病院に運び、車椅子で移動していた時、一人の看護師が廊下に駆け込んできました。彼女は私を一目見て、救急隊員に「こんなことのために救急車を無駄遣いしたの?」と言いました。

28歳の時、救急隊員が私を東京の病院に運びました。1か月後にフォローアップを依頼したところ、経膣超音波検査を行った医師が、椅子の上ですすり泣きしている私から1メートル以上離れた机から私を見て、「これは生理です。痛いのは普通です。あなたたち女性はいつもそうやって何か異常だと騒ぐ。」と言いました。

帰りの電車の中で私は号泣しました。

痛みが時間とともに軽減することはありませんでした。OTC薬で乗り切るようにしました。 

出血も時間とともに減少することなく、私はナプキンでなんとかするようにしました。

もちろん、私は自分の痛みについて広範囲に調べていました。何時間にもわたって症状と言葉をグーグルで検索していた私は何かがおかしいと分かっていました。そして、スペインや日本で産婦人科医の診察を受け、痛みの問題について医師に相談するたびに、「他の人よりも出血する人もいれば、痛みを感じる人もいます。今までと同じように管理するよう努めてください。」 と安心するように言われました。はっきりさせておきたいので言いますが、こういった「激痛」の頻度は幸い毎月ではありませんが、私の月経痛はどちらにしても苦痛なものです。生理の最初の数日間は、とにかくすべてが痛いのです。胃を刺すようなけいれんに息を切らせては、私は泣き叫び、座ったり、立ったり、横になったりします。しかしどの体制も楽になれません。時に痛みが目覚めさせ、寝付けないまま私はシートをひっかき、泣き続けます。

慢性的な痛みについて分かっていなかった一つのことは、体のエネルギーを奪われるだけでなく、誰かに症状を否定されるたびに精神を削ぎ落とされることです。私は数年間にわたってあきらめていました。誰も私を信じないだろう、私は単に恐ろしい子宮を授かってしまったのだ、と自分に言い聞かせました。そして最終的に戦うのをやめました。 

2020年にそんな私は、知らないうちに自分自身を救ったのです。自粛とテレワークが実施されていたので、月経カップを使い始めました。いつものように購入する前に徹底的な調査をした際に「私たちは思っているほど出血していないのです。」と読んだことを思い出しました。その言葉を頼り、やっぱり周りが正しかったのかもしれない、と自分を喜んで騙してみました:自分で感じているほど出血しているわけがない、多分それはすべて頭の中の出来事なんだ、と。月経カップがそれを証明してくれると思ったのです。最長12時間続けて使用でき、痛みがありながらも安心できるんだと期待しました。 12時間、最短で8時間。そう悪くないだろう、と思いました。

しかし結果は最低でした。失望と衝撃、まず感じたのはどっちだったのでしょう。まず試行錯誤を経て(月経カップの学習曲線は急です)、平均2時間ごとにカップを交換する必要があると分かりました。3時間待つこともありました。一時間でトイレに駆け込ませられることもありました。私は頭の中で計算しました。2時間ごとに40mlのカップを使用しているということは、わずか12時間で約240mlの出血があるということでした。NHS(英国の国民保健サービス)が「激しい月経の出血量」とみなす80mlを遥に超えていたのです。計算によると、私は12時間の内に「過多月経」の人の全周期分の3倍の出血をしていたのです。

私はびっくりしました。遂に確信したのです。私は正しかった。この20年間、正しいのは私だった。私の生理は正常ではなく、何か問題があったのです。 wrong with me. 

勇気を出して家を出て、東京の主治医との面会を予約するのに、ほぼ1年かかりました。カップもかわいらしい小さな綿バッグに入れて、持っていきました。椅子に腰を下ろし、新任の医者と向き合いました。私の情報ファイルを持っていた彼に痛みと出血が心配だと説明すると、彼はそれが正常であることを保障する、聞き慣れたスピーチを始めました。いつものようにまるめ込まれそうになったその時、私はカップを取り出し、彼に向ってはっきりと言ったのです。そして彼の表情は変わり、彼は絶句しました。超音波検査を行い、彼はそれを見たのです。 黒い画面を通して私の病気が見られたのです。「あなたは正しかった、確かに映っています。」私は不快感よりも不安から椅子を握り掴みました。「子宮内膜症です。」

弱っていた私は椅子に座ったまま泣き始めました。

血液検査で確実的な診断がおりました。CA-125数値が高く、鉄分数値があまりにも低くかったので、看護師はそれを読んだときに結果資料を床に落としてしまったそうです。(と、私に説明した医者は、おそらく私を笑わせようとしていたのでしょう。) 

私はこの診断によって、やっと解放されたのです。これで自分の状態に名前を付けることができます。私は10年以上もの間、疑い続け、医者を追いかけ、耳を傾けてもらえるように頼んできたのです。公共の場で服を汚すたびに、痛みと屈辱で泣いたのです。私を信じてくれる人を見つけるまで20年もかかったのです。

どうりで子宮内膜症は、月経のある人の約10%が経験しているにもかからず、診断に平均10年かかる病気です。苦しんでいることを証明することは決して患者の責任であってはいけないのです。 

そして、私の診断の過程を振り返ると、未だに泣いてしまう時があります。戦いがやっと終わったんだという安堵の涙、この病気を積極的に管理できるようになるという希望の涙、そして20年間苦しんで誰も信じてくれなかったことへ怒りと絶望の涙。

この話を共有したのには、2つの理由があります。1つは、私の経験がこの不公平で残酷な制度の中で道しるべとして他の誰かに役立ってほしいという希望です。そして2つ目はもっと利己的なものです。切実に感情のはけ口を必要としているからです。初潮が当時そうだったように、新しい出発点ですが、話を聞いてもらえないことの痛みとトラウマから癒されることを望んでいるのです。

「Nobody believed my pain」への3件のフィードバック

  1. I am a British male who works in a theatre box office with 3 other women and we discussed everything, one of them has this too.

    It took a long while for her to be diagnosed and we were there for her throughout, wether it be covering when she was poorly or taking over when she had to lie down from the pain. It was awful to see her suffering and having it take so long for it to be discovered. Here in england this condition has had a lot of attention in the media over the past year and the 10 year diagnosis is the same here too.

    All i can think of is how glad i am that I work with women because these issues among many others related to health, sex and mental health are often never discussed among men. I have learned more from them than school ever taught me.

    As a man and not being japanese or living in japan, i know my voice on this issue doesn’t carry much weight. However, I can hope that articles like these encourage people to talk and keep talking about all these issues that are often left unheard. Talking can be so powerful and when necessary, shouting.

  2. “It should never be on the patient to prove that they’re suffering.”

    Oof. That’s 😔. This should not be the case. Time and time again I’ve heard how this disproportionately affects women too.

  3. Takashi Koizumi

    はじめまして。長い間誰にも理解されずにとても辛かったですね。私は男性ですがTwitterでpmdd.pms.等の生理に関する特別な症状があることを知ったのは一昨年のことです。医者は患者の発言に謙虚に向き合わなければならないと思います。他にも医者が周知していない線維筋痛症などの人が理解されてきませんでした。筋痛性脳脊髄炎等も怠け平等と呼ばれています。私も精神疾患を患っています。皆さんの声を発信していかなければなりません。

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